自分たちの”好き”と”楽しい”を詰め込んだ、五感に響く体験を

今回は、町内で「くまの里山体験のら」を運営、また紀宝町の移住・定住支援員をされている福田さんにお話を伺いました。


ー移住前はどんな働き方をされていましたか?

和歌山県で養護教諭として約20年勤めていました。当時は県内の学校を転々としていて、電車もない田舎の分校に赴任したこともあります。養護教諭に憧れて、何年も採用試験に挑戦しましたし、教え子が同じ養護教諭になったのが本当に嬉しかったです。最後は自分の母校で勤務し退職しました。

ー何年も採用試験に挑戦するぐらい憧れていた養護教諭をどうして退職されたのですか?

念願だった養護教諭として充実した日々を過ごしていたのですが、養護教諭に本採用された年に、身内に不幸がありました。保健室で生徒の「学校に行きたくない、人生が楽しくない」といった悩みを聞いているうちに、一個人として「生きたくても生きられなかった人がいるのに」とモヤモヤしてしまっていました。そんな時、何度も何度も熊野古道を歩き「もっと自然の中で仕事をしたいなぁ」と考えるようになりました。当時は実家暮らしで、そんな私に気付いていた母が、「人生は一度きりだ」みたいなタイトルの本を、何も言わず私の視界に入るように置いていました(笑)。「自分で決めて、自由にしたらいいんだよ」の母の言葉に背中を押されて、養護教諭を辞めることにしました。

ー退職後は何をされていたのでしょうか?

退職後、2年間は自由に過ごしました。旅行をしたり、色んな人に会いに行きました。
そして、とある熊野古道沿いのエリアでカフェをしようと思い、土地を購入して、準備を進めているときに主人と出会いました。今思えば、ひとりで進めている時は大変なことの連続で体調が悪くなることもありました。そのまま進めていたら後にやってくるコロナ禍で上手く営業できなかったと思いますし、ここでの主人との出会いは何か意味があったのではと今は思います。

ーまたすごいタイミングでご主人と出会ったんですね。そこからどのような流れで紀宝町に来られたのでしょうか?

カフェの計画は一旦中断して、すでに紀宝町に住んでいた主人と結婚する前提でやって来ました。もともとテレビ番組「人生の楽園」の出演者のような暮らしに憧れていて、この人となら実現できると思いました。イベントで紀宝町の役場の方に会って、町内にある飛雪の滝キャンプ場で地域おこし協力隊を募集するとの話を聞きました。応募して採用され、3年の任期を終えました。

ー福田さんのこれまでを聞いて驚きました…。ここから紀宝町に住んでからのことを伺いたいのですが、紀宝町に来てからライフスタイルは変わりましたか?

オンとオフの切り替えをあまりしなくなりました。
養護教諭時代は仕事とプライベートを完全に分けて考えていたのですが、紀宝町に来てからは、自然に関する好きなことが仕事、趣味、遊びになっています。

ー困ったことはありましたか?もしあれば解決方法も教えてください。

初めの頃は知り合いがいないことに困りました。当時は知り合いといえば主人ぐらいで、地域の活動に参加したり、和歌山県に移住した知人に会いに行っては、近況報告をしてお互いの生活を参考にしていました。

ー地域の活動に参加されていたとのことですが、魅力に感じる点はありますか?

お互い様の精神が強く根付いているところだと思います。車のタイヤが溝にはまった時に「困ったときはお互い様や」とたまたま通りがかった方々が助けてくれました。地域の清掃や農作業などを協力して活動している姿をよく見かけます。また、山菜や野菜などがたくさん取れた時は、おすそ分けをいただくこともよくあります。

ー話は変わって、「くまの里山体験のら」を始められたきっかけを教えてください。

「くまの里山体験のら」は簡単に言うと、「体験ができる場所」です。旅行をする中で、現地の人と料理ができる、一緒にお祭りに参加できるといったような、現地の人と何かができることに魅力を感じていました。また協力隊としてキャンプ場で活動していた時に、ダッキーやテントサウナなどの屋外のアクティビティはあるけど、屋内のアクティビティがあまりないと思ったんです。この地域は雨が多いので需要はあると思い、やりたかったアロマの蒸留を始めました。そこから知り合いに色々な材料を分けてもらって蒸留を続けるうちに、五感に響く体験を提供したいと思い、本格的に始め今に至ります。

ーアロマをやりたいと思った理由は何だったのでしょうか?

もともと自然の香りが好きで、その香りを大切にしたいと考えていました。オイルの販売というより、自分で蒸留したかったんです。そんな好奇心旺盛な自分に合っているのがアロマだったんだと思います。

ー他に何かアクティビティはされていますか?

のらの体験メニューになりますが、まずは「沢カフェ」でしょうか。最初の頃は沢に知り合いを呼んで、お茶を飲んだり、そのまま泳いだりしていました。でも、昔のこのあたりの子どもたちはそうやって普通に遊んでいたと思うんです。移住してきた私たちには新鮮でした。あとは「梅狩り」ですね。住んでいる地区の梅畑で、梅の実を収穫します。始めて5、6年になりますが、毎年購入してくれる方もいますし、地元の方も収穫に来てくれます。私も梅仕事が好きなので、梅シロップなどを作っています。沢カフェも梅狩りも、特別なことではないと思うんです。でも特別だと言ってくれる人がいるから、お客さんには何が響くんだろうと考えて、そして反応を見ながら自分たちが楽しいと思うことを体験メニューにしています。

沢カフェの様子

沢カフェの様子

ー梅狩り、また来年も参加します!また話は変わって、紀宝町で暮らしていて大変なことはありますか?

紀宝町で7年暮らしていますが、台風などで3回ほど避難しています。日頃から防災に対する意識は高くなったと感じています。また、昨年骨折して大変だったので、自分はいつまでここでの暮らしを楽しめるのかと考えてしまうこともあります。だからこそ、日頃から夫婦で「今日一日を楽しむ」ことを意識しています。何があるかわからないから、今できることを一生懸命する、今この時間を楽しむ。そんな一日一日を積み重ねる。紀宝町に来てからそう考えるようになりました。

ー今を楽しむ…。私も心がけます。これから紀宝町で実現させたいことを教えてください。

紀宝町はもちろんですが、熊野地域の活性化の力になりたいです。
紀宝町の移住・定住支援員を務めていることはもちろんですが、自然の中で遊ぶことは防災に役立つこと、梅狩りや梅干しなどの保存食作りの楽しさも伝えていきたいです。

ー最後に、移住を考えている方にメッセージをお願いします!

気になる場所には実際に行ってみてください。行ってみないと分かりません。
私も、最初から紀宝町に住むと決めていたわけではないです。自分のルーツのあるところに旅行して、関係のある人たちに会いに行くなどしました。そうする中で、「なんとなくここかな」「ここは違うな」という感覚がありました。おそらくこの感覚は子どもの頃に作られていて、例えば同じ海でも、こっちの海は自分の居場所じゃないなと感じたり。比較しないとわからないので、あえて「少し違うかも」と思うところに行くのも一つだと思います。理想の暮らしを描きながら、気になることは調べたり、やってみたりして自分に合う場所を選んでいくのが良いのではないでしょうか。

福田さんが営んでいる「くまの里山体験のら」ホームページ

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